天守閣再建までの道のり

昭和20年(1945)7月9日の夜から翌日未明にかけて、アメリカ軍108機のB29が和歌山市を爆撃しました。1100名以上の方が亡くなったこの空襲により、和歌山城天守閣も焼失してしまいます。
天守閣のない虎伏山をみて寂しさを感じた市民も数多くいました。

昭和22年頃から天守閣再建の話が和歌山市議会で議論されはじめますが、ただでさえ戦後復興の大変な時期で、再建に向けての動きはなかなか本格化しませんでした。
動きが本格化したのは昭和30年代に入ってからです。

市の昭和30年度予算で「和歌山城再建調査費」が計上され、同年6月には、鉄筋3層で外形は昔のまま内部は資料展示室等に利用するという天守閣再建案が報道されます。
その後、昭和31年に和歌山城再建事務局・和歌山城再建期成会が発足し、寄付金募集が始まりました。和歌山県内のみならず、海外にも寄付を呼びかけています。

設計は嘉永かえいの天守閣再建時の史料や古写真をもとに、東京工業大学の藤岡通夫みちお氏が担当しました。
最初から鉄筋コンクリートで設計すると、木造建築ではありえない設計になってしまうおそれもあります。そのため藤岡氏は一度木造で設計し、それを鉄筋コンクリートに置き換えて設計し直すという非常に手間のかかる作業を行っています。そうした苦労もあり、非常に忠実に外観が再現されました。

再建に向けての準備が進む一方で、「パンか郷愁か」「城よりも住宅を」と、住宅難などの課題が残ったままで天守閣を再建するのは時期尚早であるとの反対論もありました。
ただし、当時反対の先頭に立っていた市議会議員が、「それ(城)は再建尚早を主張した人達にとっても夫々それぞれ郷愁きょうしゅうと想い出に満ちている」(『和歌山新聞』昭和33年10月1日付)と語っているように、天守閣再建は賛成派・反対派の枠を超えて、多くの和歌山市民が待ち望んだものといえるでしょう。

最終的には総工費1億2000万円のうち、約5700万円もの寄付金が集まり、昭和33年10月1日、竣工式が行われました。竣工式の日から5日間天守閣再建を記念したお城まつりが行われましたが、その間に天守閣に登閣した人は8万人にのぼったと言われます。

在りし日の姿そのままに鉄筋コンクリートで再建された天守閣は、現在も郷土のシンボルとして市民に親しまれています。

整備基金へのご協力を!

和歌山市では、1996(平成8)年に和歌山城の復元整備を目的に「和歌山市史跡和歌山城整備基金」が創設され、今日まで多くの方々から募金が集まり、その一部が復元整備に使われました。
2008(平成20)年よりご寄附いただいた皆様のご芳志に感謝し、和歌山城の証しとして「まりと殿様証」を発行するとともに、記念品として和歌山城オリジナルグッズなどを口数に応じて贈呈します。

なお、整備基金へ寄附された個人については「ふるさと納税制度」と同様に寄附金控除が受けられます。また、法人については、国、地方公共団体に対する寄附金として控除が受けられます。
これを機会に多くの皆様のご賛同をお願いします。また従来の募金箱への募金も行なっております。
※寄附申込み等、詳しくは和歌山城整備企画課まで連絡ください。

TEL 073-435-1044 FAX 073-435-1150